くまぞう雑記帳

伊福部昭、芥川也寸志、黛敏郎・・・クラシック系日本人作曲家の音楽を愛好しております。

不幸の手紙の起源は大黒さまの版画? 久生十蘭「顎十郎捕物帳」より 

〔2008.02.17〕
前回エントリ「神の手の写真」がチェーンメールの話題だったのに続き、今回は不幸の手紙、幸福の手紙について気になっていること、不幸(幸福)の手紙の起源について少し。

久生十蘭(小説家、当ブログカテゴリー久生十蘭)参照)の「顎十郎捕物帳」に、江戸時代の幸福の手紙ともいうべきものの描写が出てきます。2008年に十蘭の著作権が切れたのに伴い青空文庫に「顎十郎捕物帳」がアップされているのでそこから引用してみます。青空文庫作家別作品リスト:久生十蘭より、

顎十郎捕物帳12 咸臨丸受取の一節です。

顎十郎捕物帳の主人公、仙波阿古十郎は〈顔の面積の半分以上が悠々と顎〉という異相から顎十郎と呼ばれ、北町奉行所の与力である叔父を助けて推理に活劇に大活躍。ある日顎十郎は、叔父がご法度のはずの大黒尊像(だいこくそんぞう)を版木で起していたのを見咎めます。

〈急に手をのばして文机の本をはねのけると、その下からおおかた彫りあがった大黒尊像の版木があらわれた。
 これは、例の幸運の手紙とおなじもので、美濃紙(みのがみ)八枚どり大に刷った大黒天像を二枚ひとつつみにし、しかるべき有縁無縁(うえんむえん)の善男善女(ぜんなんぜんにょ)の家にひそかに頒布(はんぷ)するもので、添書(そえがき)に、『一枚は箪笥の抽斗(ひきだし)におさめ、一枚はこれを版に起して百軒に配布すべし』と書いてあるのを常とする。
 これをおこのうものは福徳家内に満ち、これをおこなわぬものはかならず災疫をうけるというので、これを受けとったものは、おのがじし百枚ずつを版木に起して配布するので、わずか三月とたたぬうちに、大黒尊像は日本の津々浦々にまで行きわたるような大勢力となった。幕府は大いに狼狽し、文政二年の末ごろ禁令を出して取締ったが、またふた月ほど前から、尊像頒布が急にたいへんな勢いで流行しはじめた。〉

文政2年、1819年の末ごろ〈禁令を出して取締った〉のが、この話に出てくる咸臨丸がオランダから日本に送られた年である1857年(安政4年)に再流行したということですか。フィクション、それも見てきたような巧みな大うそをつくのが得意な十蘭の作中に書かれたエピソードなので事実なのか、何か文献があるのかないのか・・・分かりませんが。

検索したら楽天市場で柚こしょうなどを作っている業者のページにこんなのが。

本田屋 無添加 柚子こしょう

〈この地には、およそ1,200年前に弘法大師が訪れたという言い伝えが残っています。「肥後国史」によると、大師は村に1泊されましたが、貧しい家でありながら快く歓待してくれた主人に、大師はゆずの木の版木に大黒天を彫って与えられたといわれています。
この版木で刷った大黒天の版画を人に与えれば、人災や貧苦を免れて一生を終えられると告げられた、と記されています〉

このあたりが起源ということなのでしょうか???
[ 2008/02/17 23:21 ] 久生十蘭 | TB(0) | CM(0)

久生十蘭「従軍日記」より:「不思議なご縁で」 

〔2007.11.11〕
久生十蘭「従軍日記」中に十蘭の小説に出てくる印象的な言い回しを発見しました。ひとつが「不思議なご縁で」。もうひとつは「感度あり」です。

最初の「不思議なご縁で」。戦いの最前線を回っていた十蘭がインドネシアの小島アンボン島:ハロンの航空隊に赴いた際の日記から引用します(実はこの話題を書くために検索したら小説家の倉阪鬼一郎氏が日記で先に取り上げておられましたので参考までに→新Weird World 倉阪鬼一郎の怪しい世界)。

《南方へくるとき台北からマカツサルまで同じ飛行機に乗り、いろいろご親切を受けた時永中佐、これもまた実に奇遇の感あり。中佐もよく覚えていられ、不思議なご縁でなどといわれる》(第六章 ハロンの航空隊より)

以前にも当ブログ久生十蘭を再読するで取り上げた短編の佳作「春雪」のラスト近くから、倉阪氏も引用していた部分を長めに引用します。

《伊沢が池田を紹介すると、池田は、わざと日本語で、
「このたびは、ふしぎなご縁で」と丁寧に挨拶した。
 伊沢が通訳するのを、老人は首をかしげながら聞いていたが、ふしぎ、ふしぎ、と味わうようにいくども口の中でくりかえしてから、
「おう、そうです」
と池田のほうへ手を伸ばした。》(三一書房「久生十蘭全集第2巻より)

戦時下、尋常でない出会いから「代理結婚」した池田の姪柚子とカナダ人俘虜ロバート。二人は戦争中に死んでしまい、残された池田とロバートの母親のまさに「ふしぎなご縁」というしかない対面の場面です。

「ふしぎなご縁」は「野萩」という短編にも出てきます。以下、三一書房の久生十蘭全集第2巻収録の同短編より

《「そうでしたか、それはそれは……ほんとうに、ふしぎなご縁で」
 滋子は笑って、
「ふしぎなご縁とはまた、旧式なことね」
「でも、知らない同士が、キャンプで知り合うなんてのは、よくせきな縁よ。戦争がなかったら、死ぬまで、逢わずにしまったかもしれないんだから」》

「感度あり」については日を改めて。
[ 2007/11/11 00:52 ] 久生十蘭 | TB(0) | CM(0)

久生十蘭「従軍日記」 

〔2007.10.14〕
小説家・久生十蘭が戦時中にジャワ、ティモール、ニューギニアなどの南方に海軍報道班員として派遣された際の未発表の日記を活字化した『久生十蘭「従軍日記」』が発売されたので早速買ってきました(以前にも紹介しましたが、久生十蘭については→久生十蘭‐Wikipedia、松岡正剛氏による久生の長編「魔都」のレビュー→松岡正剛の千夜千冊『魔都』久生十蘭、および久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会 を参考にしてみて下さい)。

〈「小説の魔術師」が見た戦争の前線〉〈ベールに包まれた「多面体作家」の素顔が見えた〉――こんな惹句がついているこの本の意義は、小林真二氏の解題によるとまず《報道班員の目による虚飾のない戦地記録》です。(《》内は本書からの引用)

《太平洋戦争中の報道班員の数は、海軍だけでも記事、写真、映画、作家、画家、各班あわせて千三百名ちかくにのぼったといわれるが、従軍中に彼らが日記をつけることは原則的に禁じられていた》。たとえ禁止された日記やメモ類が存在したとしても戦後は往々にして文化人は戦時下の発言や行動を隠そうとしたし、ましてや言論統制下の戦中に発表は不可能。そのような《戦時下と戦後の二重の規制をかいくぐり、報道班員の目で戦地での見聞・言動・感想をここまで率直に綴った記録が公開されることは、おそらく初めての試み》だということで、私のような十蘭ファンでなくても興味深い、貴重な日記だといえるでしょう。

日本から台湾、フィリピンなどを経由してジャワ島東部、朝日新聞の支局があったスラバヤに到着してからしばらくの無為の日々は「アンタ何しに行ったんや」と突っ込みたくなります。「飲む、打つ、買う」以外のことはほとんど何もしていないのです。内陸部のサランガン湖畔に移動後は現地の長官の武政氏という人物の俗物ぶりに振り回されます。行きたくもない視察や深夜の玉突き等にうんざりしつつも親切にされて感謝しているところなど、めっぽう面白いです。

自分から志願して最前線に赴いてからの記述は圧巻。空襲のリアルな描写、ヘミングウエーばりにきびきびした短い文章を矢継ぎ早に連ねていく迫力はすごいものがあります。

さて、解題の小林氏によると本書のもう一つの意義は《自己や自己の文学を語らない十蘭唯一の資料》です。十蘭は独特な韜晦癖があり、身辺雑記やエッセイの類をほとんど残しませんでした。《自己や自己の文学などについて吐露することを終生拒み続けた作家・久生十蘭の大きな空白を埋めるための、最大にして唯一の資料となる》というわけです。

例えば・・・前述のサランガン湖畔のホテルに移った際の日記から引用。

《湖畔のこういう雰囲気の中で何十日かの日を過ごそうとは考えていなかった。(中略)おれは湖畔が好きだ。小供のとき、じじいに連れられて泊った大沼の湖畔の夜、それから明方の靄など云い知れぬ強い印象をうけ、それが湖というものにたいする特別な憧憬になっている》

十蘭の代表作の一つ「湖畔」を知っている読者は思わずニヤリ、というところではないでしょうか。大沼というのは十蘭の故郷、函館の大沼です。湖畔、あるいは水際というものに対し十蘭はかなりこだわりがあったようですが、こういう原体験があったのですね。
[ 2007/10/14 21:44 ] 久生十蘭 | TB(0) | CM(1)

久生十蘭を再読する 

〔2007.09.23〕
「久生十蘭全集」第2巻(三一書房)を図書館で借りてきて読んでいます。

久生十蘭て誰? という人のために→久生十蘭‐Wikipedia
松岡正剛氏による久生の長編「魔都」のレビュー→松岡正剛の千夜千冊『魔都』久生十蘭

現代教養文庫の久生十蘭の文庫本5冊、朝日文庫の「十字街」などを7,8年前に血迷って処分してしまいました。全集第2巻は戦後に書かれた短編を集めたもの。久しぶりに読む十蘭、やはり抜群に面白いです。

三一書房の全集のうち「黒い手帳」「母子像」「鈴木主人」「魔都」「地底獣国」等の代表作、有名作を集めた1巻じゃなく2巻を借りたのは「春雪」をまず読みたかったからです。

知人の娘の結婚披露宴に友人の伊沢と出席した池田は〈神宮参道をヨチヨチ歩いている七五三の子供の花嫁姿のようで、ふざけているのだとしか思えない〉新婦の姿を見て、戦争中に亡くした自分の姪、柚子なら〈もっと立派にやり終わすだろう、美しさも優しさも段違いだ〉と憤る。

柚子の思い出を披露宴の間回想していた池田が〈ふと、我にかえると、いつの間にかデザート皿が出ていて、みなの視線がうながすようにこちらへむいている、忘れていた……伊沢の次に弔辞を述べるはずだったと、〉・・・・・・

なんと祝いの席で新婦のお悔やみの言葉をしゃべり始めてしまう。途中で気づいてごまかしたものの、あとで伊沢に〈名スピーチだったよ。弔辞と祝辞のハギ合せなんてえのは、ちょっとないからな〉とからかわれる。

この場面、何回読んでもオモシロ過ぎです。この後話は大森海岸の俘虜収容所(→こちらを参考にして下さい)のカナダ人俘虜と柚子の〈文通したこともなければ、話をしたこともない。もちろん、手を握ったなんてこともない。おそらく、おなじ平面に立ったことさえなかったろう〉という、世の純愛ブーム(笑)とやらが裸足で逃げ出すような一途な恋の顛末となり、小説の神様、じゃなかった(これは志賀直哉でした)小説の魔術師という異名に恥じない技巧を凝らして語られます。

全集第2巻の他の収録作品は、名作として名高い「湖畔」「予言」、殿様のふぐりが腫れ上がって大騒動になる爆笑「玉取物語」や「無月物語」「奥の海」「うすゆき抄」などの時代物、「春雪」と同じく戦争に翻弄された男女を描いた「西林図」「黄泉から」、得意の漂流、遭難、苦難の旅もの「新西遊記」「ボニン島物語」など多種多様。電話で話す女のモノローグという体裁の「姦(かしまし)」は女性一人称の語りを得意としたほぼ同時代の太宰治も真っ青の上手さです。

女性一人称といえば三一書房の全集第3巻所収の長編「だいこん」は橋本治「桃尻娘」を30年先取りしたというべき終戦当時の女子の会話体が・・・おっと、話がとりとめなくなってきました・・・腰を据えて久生十蘭を再読したくなってきた最近のくまぞうです。

参考情報:来年には新たな全集が刊行されるそうです(→久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会)。価格がやたら高い本が多い国書刊行会からです。1冊いくらになることやら・・・揃えられるかなあ。

10月6日に専修大学神田校舎で十蘭に関するトークショーがあるそうです→Pub Antiquarian〜『新青年』研究会のブログ〜。お近くの方はぜひ。
[ 2007/09/23 03:01 ] 久生十蘭 | TB(0) | CM(0)
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