(当ブログ2007年2月1日付け記事『
菅原明朗〈交響写景「明石海峡」〉について(1)』の続きです)
2005年4月16日の神戸新聞WEB NEWSに「作曲家・菅原明朗さん 遺品、明石に里帰り」と題した記事が掲載されました(→
こちら)。以下、《》内は引用です。
《慶応大のカレッジソング「丘の上」などで知られ、日本近代音楽に大きな足跡を残した明石市生まれの作曲家、菅原明朗さん(1897―1988年)の遺族が、直筆楽譜などの資料の寄贈を同市に申し出ていることが16日、分かった。遺族は「資料の散逸を防ぐため、父の生誕地の明石にまとめたい」との意向で、常設展示を希望。同市も前向きに検討している。(坂本 勝)
寄贈を申し出ているのは、菅原さんの長女で著作権を引き継いでいる北島明美(はるみ)さん(85)=京都市北区。
菅原さんは同市大蔵町生まれ。明石第二尋常小学校(現・市立人丸小学校)で学び、十三歳まで明石で育った。
京都の旧制中学を卒業後、上京。「オルケストラ・シンフォニカ・タケヰ」や日本放送交響楽団などの指揮者として活躍し、日本のトーキー映画第一作「藤十郎の恋」の音楽も手がけた。ドイツ楽派が主流だった時代に、初めてフランス楽派を紹介。作家永井荷風とも交遊し、オペラ「葛飾情話」を作曲した。
ふるさとのためにつくった交響詩「明石海峡」など、九十一歳で亡くなるまで二百五十曲以上を作曲、旺盛な創作活動を続けた。「栄冠は君に輝く」「六甲おろし」を作曲した古関裕而さんを育てたことでも知られる。
遺品を管理してきた北島さんは「保管してもらえるならボランティアで整理に通ってもよい」という。北口寛人・明石市長は「前向きに検討したい」と話している。》
上記の記事のその後が気になったので明石市に問い合わせたところ、結局資料は明石市に寄贈され、明石市立文化博物館で保管されているとのことでした。
寄贈された資料類や遺品は1024点前後で、菅原が書いた評論などの文章を収録した研究書「マエストロの肖像 菅原明朗評論集」(松下鈞編、大空社刊)出版のために国立音大で収集された著作類のコピーが大半。若干の自筆譜や遺品のパイプなどもあり、「明石海峡」の楽譜のコピー譜もこの中に含まれている、ということです。
コピー譜が明石にあるわけですから、
たこフィル(明石フィルハーモニー管弦楽団)の皆様、ちょっと楽譜を借りてきて(そんなに気軽に借りられないかもしれませんが)研究して、何年後でもいいので交響写景「明石海峡」の演奏を頼みます!
ところで今年は菅原の生誕110年、来年(2008年)は没後20年という節目の年です。さらに、来年は
明石海峡大橋開通10周年でもあるのです。「明石海峡」演奏の機は熟しています。関西のどこかのオーケストラが来年演奏することを期待します。
明石海峡大橋開通10周年については、地元自治体、財界などが主催する記念イベントが当然あるはずです。その時に「明石海峡」を演奏したらいいのに! いずれ「明石海峡大橋開通10周年記念事業実行委員会」とか何とかいう組織が立ち上がると思いますので(勝手に作るな!)、そこの事務局の人に今からよろしくお願いしておきます。
(菅原明朗の遺品についての問い合わせに対応していただいた明石市広報課、明石市立文化博物館各位にお礼申し上げます)