くまぞう雑記帳

伊福部昭、芥川也寸志、黛敏郎・・・クラシック系日本人作曲家の音楽を愛好しております。

永井荷風が書いた幻のシナリオ:ラヴェル「左手のためのピアノ協奏曲」創作エピソードを下敷きにした音楽映画とは? 

〔2007.05.29〕
最近当ブログで取り上げている秋山邦晴著「昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽」(過去記事は→こちら) を読んでいて、「濹東綺譚」「つゆのあとさき」「ふらんす物語」などの名作を書いた小説家・永井荷風(1879〜1959)が書いた知られざる音楽映画のシナリオについての記述にぶつかりました。1938年に荷風は「浅草交響曲」と題するシナリオを書き(映画化はされていない)荷風全集にも収録されていますが、今回紹介するのは別のものです。

《――荷風さんは戦時中にもう一本シナリオを書いておられたようですね。荷風の昭和十八年十一月十日の日記に「音楽映画の腹案成れる」とありますね。
菅原 そうです。「左手の曲」というシナリオです。内容は、ラヴェルに〈左手のピアノ・コンチェルト〉がありますね、あれを宅孝二が荷風さんに弾いて聴かせた。それに非常に興味をもったのです。それによって、戦争で右手を失った軍人が、左手だけで曲を弾いて立ち直るという筋のシナリオを書いたのです。》

上記は荷風と親しかった作曲家・菅原明朗へのインタビューの中から引用したものです。宅孝二は当時の日本を代表するクラシックのピアニスト兼作曲家。〈左手のピアノ・コンチェルト〉は現在の一般的な表記では「左手のためのピアノ協奏曲」ですね。ラヴェルがこの曲を作曲することになった経緯を手元にあるCDラヴェル:ピアノ協奏曲(デュトワ指揮モントリオール響、ピアノ独奏パスカル・ロジェ)のライナーノートから引用します。

《この曲は、第一次大戦の戦傷で右手を失ってしまったオーストリアの名ピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタイン(1887−1961。有名な思想家ルードヴィヒ・ヴィットゲンシュタインの兄に当たる)の依頼により、1931年から翌1932年に作曲された。ヴィットゲンシュタインは、ラヴェルのほかにもプロコフィエフ(ピアノ協奏曲第4番)、ブリテン、R・シュトラウス、コルンゴールド、フロラン・シュミット等にも左手ピアノのための作品を依頼し、結果として音楽史の中に「左手ピアノ」という新しいジャンルを切り拓くことになった》

戦争に行って右手を失くしたピアニストが、左手のための曲を演奏することによって立ち直るという映画を構想した永井荷風。そのころの荷風の日記「断腸亭日乗」には「音楽映画の腹案成れり」という言葉とともに、ラヴェルの評伝と思われる仏語の原書を読んでいる旨の記述があります。また別の日にはドビュッシーに関する原書も読んでいます。シナリオ執筆のためにラヴェルと、同じ19世紀末から20世紀初めのフランスの作曲家ということでドビュッシーのことも勉強していたのでしょうか。しかし時局柄、結局この映画の撮影は実現しませんでした。

[ 2007/05/29 01:14 ] 映画、映画音楽 | TB(0) | CM(4)

オーケストラと三味線、オーケストラと箏の相性:菅原明朗の発言と伊福部昭作品から 

〔2007.05.26〕
先日このブログで取り上げた(→こちら)秋山邦晴著「昭和の作曲家たち―太平洋戦争と音楽」の中に著者による作曲家・菅原明朗(1897〜1988)へのインタビューが収録されています。この中から邦楽器とオーケストラの共演について菅原が語っている部分を紹介します。

フランス音楽の影響を受けたモダンな作風で頭角を現し始めた若き日の菅原は、1930年ごろから宮城道雄や久本玄智といった箏曲家らと協力して邦楽器を使った管弦楽曲の作曲に力を入れた時期がありました。菅原は《昭和八年に尺八、箏と洋楽器の一管編成による〈複協奏曲〉がありますね。いろいろな邦楽器で作曲されることを、当時考えられたのですか?》という問いに対してこう答えています。

《そうです。またオーケストラの西洋の楽器と加えて、三味線もやりたかったんです。だが、三味線はだめです。というのは、あの音を全部、オーケストラが吸っちゃうんです。そしてバチ音だけが聴こえるんです。箏は反対なんですよ。オーケストラを大きくするほど箏がタチだす。三味線は不可能だということに気がついた。》

まずは「オーケストラを大きくするほど箏が立つ」という菅原の言葉について。伊福部昭の「二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ」を以前コンサートで聞いたことがありますが、そのとき感じたのが「思いのほか箏が良く聞こえるものだな」ということでした。非常に鮮明に箏の音が響いてきて、オーケストラとの音量のバランスもCDで聴くのと変わりません。上の菅原の発言は非常に納得がいくものです。

そして「三味線はだめです」という発言で思い出したのが、先日の第1回伊福部昭音楽祭での「座頭市物語」の演奏です。映画のサントラでは耳につく独奏楽器の琵琶の音が、ライブではあまり聞こえてこないままあれよあれよという間に終わってしまった、という印象を持ちました。バチで弦を擦って出す効果音的な摩擦音はよく聞き取れたのですが・・・。琵琶と三味線を同一視するのがはなはだ乱暴だということは承知の上ですが、「バチ音だけが聴こえる」「あの音を全部、オーケストラが吸っちゃう」という指摘はまさにそのとおりではないか、と思いました。

町田嘉章作曲の三味線協奏曲以来、今に至るまで三味線とオーケストラの協奏曲はいろいろ書かれています。琵琶の協奏曲もあります。私はそれらの実演に接したことはありません。ライブで聞くとどんな感じなのか、非常に興味深いですね。「三味線は不可能」とまで言い切る菅原の言葉は果たして当たっているのか、否か。
[ 2007/05/26 05:47 ] 日本の作曲家 | TB(3) | CM(5)

伊福部昭「日本狂詩曲」(2)  

〔2007.05.21〕
(2007年5月19日当ブログ伊福部昭「日本狂詩曲」(1)のつづきです)

「日本狂詩曲」の第1楽章「夜曲」。ひなびた民謡風の美しい旋律がヴィオラの独奏でえんえんと繰り返され、打楽器群が単調な、でもよく聞くと非常に細かく変化するリズムを刻んで支えます。主旋律を装飾する木管が別の調性で演奏(複調)する場面もあります。朗々と歌うこのヴィオラソロは「夜曲」の一番の聞かせどころです。

幻想的な弦楽のトレモロと木管のさびしげな独奏が印象的な中間部を経て、冒頭の主旋律が再び弦楽合奏で現れます。そして終わり近くの高音域のヴァイオリンソロが最初のヴィオラ独奏部分と鮮やかなコントラストを強調して締めます。

第2楽章「祭」。この楽章は「パーカッションがメインで、旋律は伴奏」だと作曲者は語っていたそうです。木管がやや祭囃し風のメロディーを奏でる短い導入部に続いて打楽器群が大音量で爆発します。「ゴジラ」第1作の大戸島のお神楽の場面で流れる旋律も聞こえてきますが、あくまでもメロディーは伴奏。

《伊福部本人の演奏することを想定したヴァイオリン独奏パートと、北海道帝国大学の学友たちの演奏することを想定した打楽器オーケストラのために書き始められていた作品を母体にして生み出された》(CD「伊福部昭米寿記念演奏会 完全ライヴ」のライナーノートに所収の片山杜秀「世界音楽史から見た伊福部作品・試論」より引用)という曲なのでパーカッションが強いのは当然といえば当然なのですが、大暴れする打楽器の音にとにかく圧倒されます。祭りといっても現代の日本の洗練された祭りではなく、もっと野蛮で土俗的ないにしえの祭りの熱狂です。

この異形の音楽はチェレプニン賞受賞の翌1936年にフェビアン・セヴィツキー指揮ボストン・ピープルズ・シンフォニー・オーケストラにより初演されました。しかし山田一雄指揮新星日本交響楽団による国内初演はその44年も後の1980年でした(レコード録音はそれ以前にもあり)。

[ 2007/05/21 01:05 ] 伊福部昭 | TB(0) | CM(0)

伊福部昭「日本狂詩曲」(1) 

〔2007.05.19〕
5月30、31日の大阪フィル定期演奏会で伊福部昭の「日本狂詩曲」の演奏があります(終わりました。感想は→こちら)。今日はこの曲について。

「日本狂詩曲」は伊福部昭(1914〜2006)が21歳のとき、1935年に作曲した作品です。それまでにギター曲や「ピアノ組曲」(日本組曲)といった器楽曲は作曲していましたが、日本狂詩曲は初めての管弦楽曲でした。伊福部の友人で後に音楽評論家になる友人の三浦淳史がアメリカで活躍していた指揮者のフェビアン・セヴィツキー(コントラバス協奏曲の作曲家クーセヴィツキーの甥)にファンレターを送ったところ、「お前達はなかなか音楽に詳しそうだな。なにか作曲した曲があるのなら演奏してやる」と返事を寄越したのでそれでは、ということで書いたのがこの曲なのです。

同じ年に日本人を対象とした作曲コンクール「チェレプニン賞」が行われました。日本、中国などアジアの音楽に注目していたロシア生まれの作曲家アレクサンドル・チェレプニン(1899〜1977)が私費を投じて日本の優れた作曲家を発掘しようと企画した賞です。

審査員は仏パリに亡命していたチェレプニンの人脈でルーセル、イベール、タンスマンら豪華メンバーで、日本人の作曲した曲がヨーロッパの一流の音楽家たちによって審査を受けることは前例のないことだったので注目されました。当初はラヴェルも審査員に含まれており(病気のため辞退)、伊福部は《とにかく、ラヴェルの名が魅力的で、彼に見て貰えるならと》(CD「伊福部昭の芸術1 初期管弦楽」のライナーノートから引用)セヴィツキーに送った「日本狂詩曲」3楽章のうち、賞の応募規定の演奏時間制限に従って1楽章の「じょんがら舞曲」をカット、残りの「夜曲」を第1楽章、「祭」を第2楽章として応募しました。そして審査の結果日本狂詩曲はチェレプニン賞の1等に入選します。

当時伊福部は北海道帝国大学を卒業後釧路の東、厚岸の北海道庁厚岸森林事務所で働いていました。大学時代に札幌でアマチュア演奏家として活動していたとはいえ、中央楽壇では全く無名の田舎の若者がチェレプニン賞を受賞したことは音楽関係者にとって大きな驚きだったようです。また曲の内容も、その当時としては常識外れなものでした。

[ 2007/05/19 16:35 ] 伊福部昭 | TB(0) | CM(2)

アンサンブル・ヴィオ神戸のトリプティーク 

〔2007.05.14〕
先日告知したアンサンブル・ヴィオ神戸の第7回定期演奏会に行ってきました。。参考→芥川也寸志「弦楽のための三楽章」やるぞ:アンサンブル・ヴィオ神戸第7回定期演奏会

芥川也寸志の弦楽のための三楽章〈トリプティーク〉、第1楽章は芥川を特徴づける忙しい半音階進行が印象的な音楽です。芥川の曲はしばしばプロコフィエフ、ハチャトゥリアンなどのロシア音楽からの影響を指摘されますが、今回の第1楽章はむしろバルトークの弦楽四重奏を一瞬思わせる緊迫感あふれる演奏でした。コンサートマスターの難しい独奏部分、健闘みごとでした。

第2楽章で楽器の胴体を叩いて音を出すノック・ザ・ボディという特殊奏法が使われるのですが、実際にこの目で見て「こうやっているのか」と感心! ヴァイオリン、ヴィオラの人は顎に楽器をはさんだまま左手人差し指、中指あたりの第2関節あたり(だと思う)を下から楽器の裏側に打ちつけていました(痛くないのか?)。録音で聞くより素朴なコツコツいう音、和太鼓の縁の部分を叩いているような音がこの美しい緩叙楽章にアクセントを添えていました。

お祭り風のリズムが楽しい第3楽章もなかなかの熱演。曲が終わって指揮者が大きなため息をついているのが見えました。「何とかうまくいった、よかった〜」というところだったのでしょうか。
[ 2007/05/14 01:02 ] 芥川也寸志 | TB(0) | CM(9)

秋山邦晴著「昭和の作曲家たち-太平洋戦争と音楽」 

〔2007.05.13〕
最近読んでいる本です。

これは音楽評論家の秋山邦晴(1929〜1996)が音楽雑誌「音楽芸術」に1974年1月から1978年12月まで連載した「日本の作曲界の半世紀」を単行本化したものです。

参考→秋山邦晴のプロフィール著作

目次を書き出してみます。

  序章
1 楽団スルヤの夢
2 日本の未来派音楽
3 プロレタリア音楽運動
4 新興作曲家聯盟のころ ―結成から解散まで―
5 戦争下の「過去」と「現在」
6 菅原明朗・オペラ〈葛飾情話〉
7 「日本的なるもの」の虚構
  Entracte(幕間)

以下引用です。

《ぼくらは戦前の作曲家たちの歴史を知りたいと思っても、作品そのものがすでに演奏されることもない。楽譜さえ出版されていないものが大部分である。(中略)このような歪んだ状態をなんとか変えていかないかぎり、日本の作曲界はつねに全体的な視点を回復するきっかけはつかめない》(「序章」より)

[ 2007/05/13 10:00 ] 日本の作曲家 | TB(0) | CM(0)

ピツェッティ「Concerto del L'Estate」:地中海性気候の「田園交響曲」 

〔2007.05.03〕
レスピーギ、マリピエロ、カゼッラらと並ぶ20世紀のイタリアの代表的な作曲家のひとり、イルデブランド・ピツェッティ(1880〜1968)のオーケストラ曲を初めて聞きました。皇紀2600年奉祝曲のひとつとして1940年に日本で初演された「交響曲イ調」の作曲者である、ということ以外はあまり話題に上ることもないピツェッティですが、当ブログでしばしば紹介している日本の作曲家、菅原明朗(→カテゴリ「菅原明朗」参照)が心酔した作曲家だということなので一度聞いてみたかったのです。

こちらのCDです→Pizzetti: La Pisanella Suite/ Concerto del L'Estate/ Respighi: Three Botticelli Pictures/ Rota: Concerto per Archi


収録曲のうちピツェッティの曲はスイス・ロマンド管の演奏。Concerto de l'estateは、ライナーノート(英語)によるとsummer concerto、夏のコンチェルトと訳せばいいのでしょうか。作曲者はこの曲を「私の『田園交響曲』である」(Pizzetti called this his‘pastoral synphony’)と語っていたらしいです。

曲は3楽章からなり、第1楽章がmattutino(朝)、第2楽章 notturno(夜)、第3楽章gagliarda e finale(ガリヤールとフィナーレ)。第1楽章、これが真夏のイタリアの朝ですか。田園交響曲といってもベートーベンやヴォーン・ウィリアムスとはずいぶん違います。カッと照りつける太陽、でも湿気は少なく過ごしやすい、いかにも地中海性気候の夏という音楽です。レスピーギの管弦楽曲と似た雰囲気があります。第3楽章の舞曲の盛り上がりと静謐なフィナーレの対比も面白かったです。La Pisanella Suiteという曲は劇伴音楽だそうで、ややフランス音楽、ラヴェルっぽい感じです。

ピツェッティはアマゾン、タワー等で調べると輸入盤はけっこうありますが、国内盤は皆無に等しいですね。なかなか面白い曲を書くと思いましたが・・・

[ 2007/05/03 00:38 ] クラシック音楽 | TB(0) | CM(0)
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