小説家・久生十蘭が戦時中にジャワ、ティモール、ニューギニアなどの南方に海軍報道班員として派遣された際の未発表の日記を活字化した『久生十蘭「従軍日記」』が発売されたので早速買ってきました(以前にも紹介しましたが、久生十蘭については→
久生十蘭‐Wikipedia、松岡正剛氏による久生の長編「魔都」のレビュー→
松岡正剛の千夜千冊『魔都』久生十蘭、および
久生十蘭オフィシャルサイト準備委員会 を参考にしてみて下さい)。
〈「小説の魔術師」が見た戦争の前線〉〈ベールに包まれた「多面体作家」の素顔が見えた〉――こんな惹句がついているこの本の意義は、小林真二氏の解題によるとまず《報道班員の目による虚飾のない戦地記録》です。(《》内は本書からの引用)
《太平洋戦争中の報道班員の数は、海軍だけでも記事、写真、映画、作家、画家、各班あわせて千三百名ちかくにのぼったといわれるが、従軍中に彼らが日記をつけることは原則的に禁じられていた》。たとえ禁止された日記やメモ類が存在したとしても戦後は往々にして文化人は戦時下の発言や行動を隠そうとしたし、ましてや言論統制下の戦中に発表は不可能。そのような《戦時下と戦後の二重の規制をかいくぐり、報道班員の目で戦地での見聞・言動・感想をここまで率直に綴った記録が公開されることは、おそらく初めての試み》だということで、私のような十蘭ファンでなくても興味深い、貴重な日記だといえるでしょう。
日本から台湾、フィリピンなどを経由してジャワ島東部、朝日新聞の支局があったスラバヤに到着してからしばらくの無為の日々は「アンタ何しに行ったんや」と突っ込みたくなります。「飲む、打つ、買う」以外のことはほとんど何もしていないのです。内陸部のサランガン湖畔に移動後は現地の長官の武政氏という人物の俗物ぶりに振り回されます。行きたくもない視察や深夜の玉突き等にうんざりしつつも親切にされて感謝しているところなど、めっぽう面白いです。
自分から志願して最前線に赴いてからの記述は圧巻。空襲のリアルな描写、ヘミングウエーばりにきびきびした短い文章を矢継ぎ早に連ねていく迫力はすごいものがあります。
さて、解題の小林氏によると本書のもう一つの意義は《自己や自己の文学を語らない十蘭唯一の資料》です。十蘭は独特な韜晦癖があり、身辺雑記やエッセイの類をほとんど残しませんでした。《自己や自己の文学などについて吐露することを終生拒み続けた作家・久生十蘭の大きな空白を埋めるための、最大にして唯一の資料となる》というわけです。
例えば・・・前述のサランガン湖畔のホテルに移った際の日記から引用。
《湖畔のこういう雰囲気の中で何十日かの日を過ごそうとは考えていなかった。(中略)おれは湖畔が好きだ。小供のとき、じじいに連れられて泊った大沼の湖畔の夜、それから明方の靄など云い知れぬ強い印象をうけ、それが湖というものにたいする特別な憧憬になっている》
十蘭の代表作の一つ「湖畔」を知っている読者は思わずニヤリ、というところではないでしょうか。大沼というのは十蘭の故郷、函館の大沼です。湖畔、あるいは水際というものに対し十蘭はかなりこだわりがあったようですが、こういう原体験があったのですね。